まもなく名二環が全線開通!今こそ東名阪の名古屋IC開通記念碑を見てみよう

東名阪自動車道開通記念碑

いよいよ5月1日、名古屋をぐるっと囲む高速道路「名二環(めいにかん)名古屋第二環状自動車道」が全線開通しますが、その一部はかつて「東名阪自動車道(均一区間)」と呼ばれていました。

ということで、そんな東名阪自動車道が全線開通した時の記念碑を見に行ってみました。

この記念碑は、東名阪自動車道が亀山から名古屋インターまで開通したことを記念して作られたものです。そう、東名阪は当時、名阪国道の東端である三重県の亀山と、東名高速の名古屋インターチェンジを結ぶ道路だったんです。


石碑には概要が記されていました。

総延長・総事業費

総延長は81.5キロ。亀山から名古屋西までは53.2キロで、名古屋西から名古屋までが28.3キロとあります。

現在、その28.3キロが名二環の一部になっているわけなので、今は東名阪の総延長が53.2キロということになりますね。

そして総事業費にびっくり。時代が違うってのもあるかもしれませんが、亀山から名古屋西が891億円であるのに対して、名古屋西から名古屋は3,587億円。距離は半分なのに、建設費は4倍。

供用開始

  • 亀山~四日市(21.0km)1970(S45)年4月17日
  • 四日市~桑名(12.3km)1971(S46)年8月9日
  • 桑名~蟹江(16.2km)1975(S50)年10月22日
  • 蟹江~名古屋西本線料金所(2.9km)1979(S54)年12月1日
  • 名古屋西本線料金所~名古屋西(0.8km)1986(S61)年10月27日
  • 名古屋西~清洲東(8.5km)1988(S63)年3月23日
  • 清洲東~勝川(8.7km)1991(H3)年3月19日
  • 勝川~名古屋(11.0km)1993(H5)年12月3日

この東名阪について、うちの親父がよく「あそこって、昔は高速道路じゃなくて普通の有料道路だったよなあ」と言っていまして、「ああ、親父が言ってたのってこのことかあ!」と思ったのが、この記述です。

一般有料道路「東名阪道路」として、昭和42年6月26日事業許可、昭和48年4月1日高速道路へ切替となる。

最初は「東名阪道路」だったんですね。

東名阪自動車道から切り離された、名古屋西から名古屋の区間がさらに増殖して、このたび「名二環」全線開通となりますね。


(名二環として切り離されたのは2011年3月20日なので高針JCTまではずっと東名阪としての開通だった)

そういえば。名古屋インターまで東名阪の扱いだった頃は、名古屋インターで「東名高速」と「東名阪」が繋がっていたことから、見間違いを避けるためでしょう。

「ひがし名阪道」という表記がありましたね。

もちろん、名二環によって「環状」という計画があったというのは大前提でしょうけれども、名二環という名称が新たに登場したことで、見間違いは無くなり、「ひがし名阪道」という表記も今ではまったく見かけなくなりましたね。

この記念碑は、EXPASA御在所下りのもっとも名古屋寄りの場所にあります。

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